20年の便秘から死にかけた私が、人生のどん底から腸活で大逆転した半生を暴露していい?

雑誌やテレビの情報を鵜呑みにして、極端なダイエットに手を出した高校1年の夏。

そこから私の便秘人生は始まりました。

「出ないんだったら、
下剤で出しちゃえば良くね?」

「お腹痛いのは薬飲めば治るし、大丈夫っしょ!」

今となってはもはやネタですが、20年間の便秘をこじらせ、
腸に穴を開けて死にかけるまでの私は、こんな感じで生きていました。

どうも、自分の身体の声を「ごまかし」続けてきた女、たあです。

今回は、そんな私の半生(ほぼ黒歴史)を振り返りつつ、どうして腸活に出会ったのか、
どうやって「腸を整えることで人生がひっくり返ったのか」などを書いてみたいと思います。

(自分語りって苦手なんですが、文字に起こしていて気持ちよくなっちゃったらごめんなさい笑)

あと正直、結構な長文なので興味のない方はこのままそっとページを閉じて大丈夫です。

「え、便秘で死にかけるとかあるの?」

「腸活で人生ひっくり返すとか、信じられないんだけどw」

…という好奇心旺盛な方だけお読みくださいませ。

何卒よろしくお願い申し上げます。

目次

たあとはどんな人間?

改めまして、便秘歴20年→腸活ヲタクへと華麗なる転身を遂げた、たあです。

餃子とビールをこよなく愛しています。

料理キャンセル界隈に生息しています。

昭和生まれのアラフォー女子。
(女子という歳でもないけどね)

花柄とかフェミニンな服を着ることが多いですが、
ふんわりとした雰囲気は持ち合わせておりません。
(内面の男らしさを中和しているだけかもしれません)

現在は美腸活トレーナーとして、

  • Instagram(@taa_bicho)での発信(フォロワー8万人超)
  • 腸内フローラ解析の提供
  • ファスティングサポート
  • 個別カウンセリング、セッション
  • 腸活・栄養学・中医学を組み合わせた食事アドバイス

などなど、腸活を軸に人生をまるっと整えるお手伝いをしています。

ちなみに今後は美腸活トレーナー育成講座や、
腸×分子栄養学×中医学の“セルフケア講座”なんかも立ち上げ予定です。
(あくまで予定。私の生理周期とやる気次第。)

元々13年間、通信会社で2万人以上のお客さまと関わる仕事をしていたので、
「人の話を聴く」「寄り添う」「解決策を一緒に探す」ことは得意分野です。

…というとめちゃくちゃ立派そうに聞こえるんですが、
もともとは便秘・頭痛・PMS・だるさMAXの不調マスターでした。

なので”スーパーストイック”に頑張るのではなく、「頑張るより、ゆるめる」がモットーです。

ちなみにリアルでは2児の母で、納豆の容器を茶碗がわりに納豆ご飯を食べている人です。
(洗い物は増やさない)

人生のどん底で詰んでいた過去

今では講座を開催したり、カウンセリングをしたり、
フォロワーさんや受講生さんからは「先生」と呼ばれている私ですが…

つい数年前までは、栄養の「え」の字も知らないただの主婦。
不調のオンパレードで人生詰んでいました。

便秘歴20年。

ひどいと1週間は何も出ない。
お腹は岩みたいにガチガチで、顔はむくんでパンパン。
肌は砂漠、感情はジェットコースター。
自己流のダイエットと健康法で事故りまくっていました。

処方された薬を飲んでも効いているのかなんなのかよくわからないし、
病院代と薬代に汗水垂らして働いて得たお金が溶けていく日々。

「ストレスが原因かもしれませんね」

だからそのストレスってなんだよ!
どうすりゃいいいんだよ!

たいして話も聞かずに薬だけ出す医者に、怒りすら感じていました。

今思えば、ギリギリで生きていましたね。
(KAT-TUNかよ!ってツッコミ待ってます)

朝起きた瞬間「もう夜になってほしい」って願ってたし、
休日は布団と同化してたし、冷え性で手足は常に死んでたし、
会社で座ってるだけなのにめまいが起きたり。

まさに、生きてるだけでHPが減り続ける”毒状態”のポケモンと一緒でしたね。

出産を機に、身体もメンタルもさらに限界突破。

夜泣き、授乳、寝不足、ホルモンの乱れ、慣れない育児。
気づけば私は、産後うつの沼に突っ込んでました。

泣く我が子を前にして、なぜか私が泣いてる。
ごはんを作る気力もなくて、冷蔵庫の前で棒立ち。
何もしてないのに、罪悪感と自己否定で押しつぶされそうになって思考停止。

そんな毎日から抜け出したい。
でも、どうすればいいのかわからない。

心と身体がすり減っていくのを、ただただじっと耐えているだけでした。

“ごまかし続けたツケ”は、
突然やってきた

そんなこんなで、薬でだましだまし生きてきた私ですが、
ついに限界ラインを迎えます。

ある日、いつものようにお腹の調子が悪いなと思っていたのですが、
「まぁ寝れば治るでしょ」と思って布団に入ったんです。

でも、痛みはどんどん強くなっていき、激痛で目が覚めました。

脂汗が止まらず、起き上がることもできない。
「やばい、これはただ事じゃない」と思ったときには、
もう自力で動けませんでした。

救急車を呼び、意識もうろうのまま搬送。
まともに話せないほどの痛みの中で、
これ…私死ぬのかな」って、ぼんやり思ってました。

病院で検査を受けた結果は、

「大腸憩室炎の悪化で、腸に穴があき、腹膜炎を起こしています」

つまり、

長年の便秘が原因で弱っていた腸に穴があき、お腹の中に便が漏れ、炎症が起きていたということです。

医師からはサラッと「もう少し我慢して到着が遅かったら命が危なかったですよ」と。

私の頭の中はもうパニック。

下剤で腸を無理やり動かし、カフェインで自律神経をぶっ壊し、
ストレスと自己否定で腸にトドメを刺してきた結果。

「そりゃ、あくよね。腸に穴くらい。」

と、今なら冷静に言えますが、
当時の私はベッドの上でただただ泣くしかありませんでした。

生まれたばかりの子どもを置いて、入院すること2週間。

治療方法は、絶食と絶飲で腸を動かさないこと。
つまり、点滴で生かされているだけの日々。

これはね、もう精神的にやられましたね。

悲しい、悔しい、苦しい、情けない。

このとき私は、病室の天井を見ながら本気で思いました。

「腸をこのまま放っておいたら、マジで人生終わる」

と、ようやく「ごまかしてきた自分」と向き合うことを決意したのです。

人生のどん底からひっくり返せたのは
“腸活”だった

退院後の私は、ボロ雑巾みたいな状態でした。

体力ゼロ。メンタルもズタボロ。
家の階段を一段上がるのにも息切れするくらい、完全なる“HP1”状態。

でも、それ以上に怖かったのは、

また同じことが起きたら、次は助からないかもしれない」という不安でした。

このままじゃいけない。
でも、どうすればいいの?

薬を飲んでも根本は変わらない。

病院の先生は私を救ってはくれない。

そんな時に出会ったのが“腸活”という考え方でした。

この頃はまだ、「腸活」なんて今ほど有名じゃなくて、
せいぜいスーパーの棚に並んだヨーグルトくらいのイメージ。

ネットを見ても、「発酵食品がいいらしい」
「食物繊維が大事らしい」くらいの、ざっくりした情報ばかり。

でも私は、藁にもすがる思いで、味噌汁を飲み、ぬか漬けを始め、
白湯をすすり、もち麦ごはんに切り替えていきました。

ごまかし生きてきた私が、少しずつ確実に「腸にやさしい暮らし」へ移行していったんです。

そして私は、「ただ体調がよくなればそれでいい」では済まなくなっていきました。

「もっと深く理解して、自分で身体を立て直せるようになりたい」

そう思うようになり、腸や栄養の専門的な学びに飛び込みました。

その中で知ったのが、腸は“便を出すための臓器”じゃなくて、
自律神経・ホルモン・免疫・メンタルまで関わってる“超重要臓器”だということ。

震えましたね。

だって、私がずっと苦しんできた、便秘、肌荒れ、PMS、イライラ、落ち込み…
全部、腸と関係してたなんて思いもよらないわけですから。

そして、私が腸活を始めて少しした頃に、世界は“コロナ”で一変しました。

感染が一気に広がり、「免疫」や「自律神経」への関心が高まって、
世の中も「腸の大切さ」に気づき始め、インスタでも腸活関係の情報が溢れるようになっていきました。

今の私は健康そのものです。便秘なんて無縁で、今や1日2回出るまで変わりました。

もちろん、今でも不安がゼロなわけじゃありません。

子育ても仕事もバランスを取るのは簡単ではないですし、気づくと頑張りすぎてしまうこともしばしば。

でも「私は、自分の腸と人生を自分で整えられる」という自信ができたことで、
物や誰かに依存したり、症状に振り回されたりすることはなくなりました。

むしろ今では、腸内環境に振り回された過去の自分に対して、
「よく生きてきたな」とツッコんであげたいくらいです。笑

言うまでもなく、私の人生をひっくり返せたのは“腸活”です。

腸活と出会って、私の人生は180度変わりました。

便秘だけじゃなく、肌も、ホルモンバランスも、メンタルも、
そして“生きていく力”そのものが、確実に変わっていったんです。

でもね、私、もともと健康意識が高かったわけでもないし、
勉強とか苦手で高校の時は出席日数ギリだったし、
むしろ「あんパンとコーヒーがあれば生きていける」と思ってた人間です。

そして忘れるなかれ、20年間便秘と自己否定を抱えながら、
薬と下剤でごまかして生きてた女です。爆

今思うと、よく腸が耐えてくれてたなって感じ。

…何が言いたいかと言うと、

人間って、本気で変わりたいと思った瞬間から、変われるんです。

私は、かつての私と同じように便秘や不調に悩んで、
「もう無理かも…」と自分の人生を諦めかけている人のために、
今こうして腸活の発信を続けています。

筋肉は裏切らないという言葉がありますが、

腸も、裏切らない。
整えれば、ちゃんと応えてくれます。

私の発信が誰かの第一歩になれたら、これ以上嬉しいことはありません。

美腸活トレーナーたあの半生

ある程度の黒歴史は書いた通りなんですが、せっかくなので半生をもう少し振り返ってみたいと思います。

しっかり者の“お姉ちゃん”として育った私

私は1984年に静岡で生まれ育ちました。

静岡から出たことがありませんので、生粋の静岡人です。

父は会社員、母はパート。二人兄弟の長女で3つ下の弟がいます。

親戚の中でも一番年上というポジションで、当然のようにかけられる
「お姉ちゃんなんだからしっかりしなさい」コールに応える日々。

はい、そりゃもう“しっかり者”の呪文を唱え続けて育ちました。笑

赤ちゃんの頃から便秘体質だったのか、
夜中に原因不明の高熱を出して病院に連れて行かれ、
浣腸したら熱がスッと下がったというエピソードは、
母から何百回も聞かされています。

そんな私の小さな頃の夢は「パン屋さん」。

小学校2年生のときの作文で、
「将来、私はパン屋さんになって、朝のいい香りで人を幸せにしたいです!」
みたいな熱い想いを綴ったら、なんと大賞を受賞。

我ながら、なかなかの情熱だったと思います。

そして高校生になって選んだバイト先も、もちろんパン屋さん。

この頃からすでに、小麦と私の運命的な関係が始まっていたのかもしれません…。

読モに憧れて、まさかの下剤デビュー

私が初めて“ダイエット”に本気で取り組んだのは、たしか16歳のとき。

きっかけは、雑誌に載っていた読モの女の子。

読モとは「読者モデル」の略で、当時eggやagehaといったギャル雑誌の全盛期。

自分と同じ女子高生(JK)が制服を着て、雑誌に載ってる。

「うわ、なにこの世界。私もこうなりたい!」
と、思春期の私は完全にノックアウト。

そこから、雑誌のダイエット特集を鵜呑みにして、
流行りの「トマトダイエット」「りんごダイエット」に手を出し始めました。

ちなみに当時の私は、

・夕飯の白米→抜く
・唐揚げの衣→はい、はがす(ごめんなさい)

という涙ぐましい努力(?)をしていて、

結果、代謝は下がり、便秘体質にまっしぐら。

常に下っ腹だけぽっこり、
体重が1gでも減れば「私、やれてる!」って思ってました。

そんなある日、ドラッグストアで目に入ったのが、
「飲むだけでスッキリ!」のダイエット茶。

「下剤は怖いけど、お茶なら大丈夫っしょ!」

そんな感じでウキウキで購入し飲み始めます。

……結果、まぁお腹はくだりました。

「腹痛=効いてる証拠だ」と信じ込んで、
しばらく続けてしまいました。

でも、効いていたのは初めだけで、次第に効果を感じなくなりました。

そこから“体重が1gでも増えるのが怖い”
“お腹がポッコリしてるのが嫌”という思いが、じわじわと大きくなり…。

ついに手を出してしまったのが、下剤です。

「毎日出していれば太らない」
「体重が軽ければ安心」

そんな間違った思い込みで、
気づけば下剤が“お守り”みたいになっていました。

それから20年近く、私は下剤が手放せない身体になってしまったんです。

実績と引き換えに、健康を捨てた管理職時代

20代の私は、まさに仕事一直線の鬼モードでした。

接客コンテストでグランプリを獲得、販売実績は全国1位。
とにかく結果にこだわって、がむしゃらに働きまくっていたんです。

今思えば、「褒められたい」「認められたい」気持ちがすごく強かったのかも。

でもその裏で、身体と心はズタボロ。

毎日日付が変わるまで残業。胃がキリキリする商談。
お客様のクレーム対応から、店舗スタッフのメンタルケアまで。

「まだ大丈夫、まだ大丈夫」と自分にムチを打って、
気づけば、気合と根性が燃料の、ブラック企業仕様の社畜マシンになってました。

で、週末はというと、布団から出られずひたすら寝るだけ。

疲れが取れるどころか、逆にだるくて起き上がれない。

体調が悪くて友人との予定を何度もキャンセル。

「また?大丈夫?」と言われるのがつらくて、誰にも会わなくなりました。

出張ばかりの日々に、当時付き合っていた彼からも別れを切り出されました。

給料はというと、薬代と病院代でスルスル消えていく始末。

どこかで「これは普通のこと」って思い込んでいたんですよね。

頑張るって、こういうこと。
社会人なんだから、体調管理も自己責任。

…でも今ならわかります。

私、頑張る方向、完全に間違えてました。

出産・退職・そして腸が限界突破

長年、仕事に全力投球してきた私も、出産を機にようやく強制リタイア。

「これで少しは休める…」と思いきや、
子育てって全然“休み”じゃないんですよね。涙

むしろ24時間営業のハードワーク。

1年の育休もあっという間に過ぎ、「そろそろ職場復帰かな」と思っていた頃。

職場に、私の居場所がない。

私が産休育休に入っている間に会社の体制が変わり、
ポジションも後任に引き継がれ、戻る場所が消滅していました。

いろいろ悩んだ末、私は退職を決意しました。

そこから在宅で何かできないかと模索を始めた矢先、腸が限界突破します。

ここから先は、先ほど書いたあの壮絶な“腸事件”へと続きます。

母の死が教えてくれた「自分を大切にする」意味

腸活を始めて、少しずつ心も身体も整ってきた…そんな矢先のことでした。

ある日、母の病状が急変。

64歳という若さで、この世を去りました。

「悪性リンパ腫」。血液のがんの一種です。

長い闘病の末、命の灯が消えていくその姿を前に、
私はただ立ち尽くすことしかできませんでした。

そして、当時の私は「病院も薬も医者も、結局、母を助けてくれなかった」と、
どうしようもない怒りが込み上げていました。

悲しみと悔しさと無力感。
ぶつけようのない感情を、私は誰かにぶつけたかったんだと思います。

母はいつも“自分のことは後回し”の人でした。

家族のために、周りのために、一生懸命がんばって、
自分の不調や感情はグッと飲み込んでしまう。

それが“母の在り方”だと信じていたけれど、
今思えば、それは“我慢”という名の自己犠牲だったのかもしれません。

本当は「人のために」を大切にしていたはずの母が、
なぜかあまり幸せそうに見えない。

なぜか、いつもどこかしんどそう。

私はその姿に、ずっと心のどこかで違和感を抱いていたのだと思います。

「自分を大切にする」って、何だろう?

「自分の人生を生きる」ってどういうことだろう?

母がいたからこそ、この問いに辿り着きました。

母の死は、深い悲しみと後悔を私に残しましたが、その悲しみの奥には、確かにひとつの気づきがありました。

「もう、我慢で誰かを支える人生は終わりにしよう」

「これからは、自分をちゃんと整えて生きていこう」

「私の人生は“自分軸で生きる”ためにあるんだ。」

そう心から思えるようになったのは、
きっと、母が私に“命を使って”教えてくれたんだと思います。

合わせて読みたい

私が目指す未来
〜「私」が主語の人生を歩むために〜

ここまで読んでくださって、ありがとうございます!

ね、長かったでしょう?笑

もしかして、今のあなたも、

「このままじゃちょっとマズいかも…」

そんな風に、未来に漠然と不安を感じていませんか?

昔の私もそうでした。

“ちゃんとしなきゃ” “もっと頑張らなきゃ”って、
いつも自分にムチ打ってたけど、実際は心も身体も限界状態。

でもね、どんなに正解を探しても、
人生に「これが唯一の答えです」なんてなかったんです。

むしろ、自分で決めて、自分で整えていくほうが100倍ラクだった。

そのことに気づけたのは、腸がぶっ壊れて人生詰んだおかげ。

(ありがとう、腸。あの時はマジで痛かったけど)

いま私が目指しているのは、

“自分に合った方法で整えることができる”こと。

つまり、何かあったときに切れるカードが「病院」や「薬」だけじゃなくて、
「この栄養が足りないかも?ちょっと足してみようかな」
「今はこの方法より、まずはこっちのほうが大事かも」って、
自分で考えて、自分で選べる“カード”をたくさん持っている状態。

その方が人生めちゃくちゃラクだし、豊かだと思いませんか?

そして、私がやってるのは、“正解探し”のサポートじゃなくて、
「自分の答え」を見つけられるお手伝い。

SNSやネットで情報があふれる今の時代、
「何が本当なの?」「結局どうすればいいの?」って迷ってしまうのも、当然だと思うんです。

でも本当に大事なのは、
誰かの正解ややり方に合わせることじゃなくて、今の自分にとってのベストな選択肢を見つけること。

その“見つけ方”を、一緒に探していくのが私の使命だと思っています。

そして、クライアントさんが「本当に生きたい人生」を歩めるように、
腸から、思考から、まるっと寄り添うトレーナーでありたい
と思っています。

大丈夫、何歳からだって身体は変えられます。

というか、私が証拠です。笑

これからも、自分の身体であれこれ試して、実験して、
「こうしたら、ちょっと楽になるかも」
そんな小さなヒントを、皆さんへたくさんシェアしていきたいと思っています。

最初は、サクッと書くつもりだったんですが、
気づけば壮大な自分史になっていました。笑

それでも、ここまで読んでくださったあなたに、心から伝えたいのはひとつだけ。

今、どんな状態でも、変わることはできる。

腸も、思考も、未来も。
どこからでも、ここからでも。

あなたの人生が、
あなた自身のものでありますように。

その旅に、少しでも伴走できたら嬉しいです。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

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